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夫の手料理



これは、とりモモ肉とローズマリーとニンニクのロースト。






夫(かぞえで75歳)がピザを焼いてくれました。
冷めているせいもあるかもしれませんが、
こうしてみると、おじいさんが作ったピザにみえてくるでしょう。
味は、とても美味しかった。

失礼しました。
「おじいさん」といってもまだ孫はいませんし、
心疾患や脱腸をかかえながらもエネルギッシュに働く、ハイパーじいさんです。



唐突ですが、あの戦争さえなかったら...と、
ごくたまにそのような心境になる事があります。

でも、そうしたら東京に出る事も無く、
今の夫や子供達にも巡り会えなかったのだと思うと、複雑なこんころもちです。

ごく最近になって、シベリア抑留者への給付金支給が認められるようになりました。
対象は生存者のみ。ごくわずかな金額。戦後60年以上もたって!

今日まで国からの保障を求めて戦ってこられた方々は、本当に金額の問題でなく、
人間として当たり前の尊厳のためなのだという言葉、私にはよくわかります。

私の父は特高警察でした。

祖国と愛する家族のために必死で働き、
終戦後は凍てつくシベリアで過酷な労働に耐えしのび、なんとか帰国したものの、
まもなく極度の過労と栄養失調が原因で、亡くなりました。

私が小学校2年生の時の事です。
姉が2人、そして幼い弟も亡くなりました。
その中で、頑丈な母と丈夫な4姉妹がなんとか生きのびてきました。
母や私達も今思えば、それなりの苦労はあったかもしれません。
でも、当時はとにかく生きる事に一生懸命でした。
それに、人間というものは、
よくも悪くもその時々の環境に順応していくものなのです。

それにしても、残された母が90歳を過ぎるまで長寿を全う出来た事などを考えると、
人生においての本当に辛く苦しい部分は全部、
父が引き受けてくれたような気がしてなりません。


やさしい父が生きていたら、
もしかしたらたまの休みに手料理をふるまってくれた事もあったのかしら。
いいえ、生きていたとしても、それはそれで仕事に追われ、
そんな事をする余裕はなかったかもしれません。

今の私のこの生活は、与えられるべくして与えられた、
自分にとって最高の居場所なのかもしれません。

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プロフィール

ひろこたまご

Author:ひろこたまご
ハルピン市生まれ。
3歳の時、舞鶴港より帰国。
ぴんちゃんの「ぴん」は、ひまりの「ぴん」です。
年末に生まれましたが、ラフ、または混乱のため、戸籍上は年始生まれとなっています。早生まれ、万歳☆

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